早期退職ブログ

早期退職後の暮らし。

午前十時の映画祭「八甲田山」

ご無沙汰だった「午前十時の映画祭」です。@上大岡TOHOシネマズ。

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1977年の大ヒット作です。山岳小説が得意な新田次郎が、実話をもとに書いた小説が原作です。

 

公開時はまだ小さかったので劇場では見れなかったけど、CMの「天は我々を見放したー」というセリフは子供の間でも流行語になりました。

駄菓子屋のお菓子クジがハズレると「天は我々を見放したー」、雨が降って校庭で遊べないと「天は我々を見放したー」みたいに、何かあると全て、天のせいにしてました。

こうして、いろんな事を誰かのせいにして生きるオレが出来上がったのです。

 

森谷監督は、黒澤明の全盛時代にチーフ助監督をやってた人で、監督としても、「八甲田山」の他、「日本沈没」「動乱」「小説吉田学校」など、東宝のメジャー作品をたくさん撮りました。

極寒の八甲田を撮影したのは、後に「剣岳」の監督をした木村大作

 

(あらすじ)

日露戦争が目前に迫る日本軍は、寒さにどう対処するかが課題でした。

そこで、上層部の提案で、青森5連隊と弘前31連隊が冬の八甲田山を雪中行軍することになります。それぞれの隊は、青森、弘前から八甲田山に入山し、途中ですれ違うという行程です。

弘前31連隊の徳島大尉(高倉健)は、27人の小隊を編成し、青森5連隊の神田大尉(北大路欣也)も小隊で行く計画でしたが、上官の山田少佐(三國連太郎)が「そんな少ないんじゃみっともないから中隊を編成しろ。俺も行くし」みたいな事を言うので仕方なく210人の大所帯になってしまいました。

行軍が始まると、三國連太郎が思い付きであれこれ言うもんだから、リーダーの北大路欣也は思うように指揮が執れず、雪の中で大変な目にあいます。犠牲者もどんどん出てしまいます。結果、210人中、199人が亡くなる惨事となってしまったのです。

一方、31連隊は高倉健さん指揮のもと、雪中行軍を無事成功させます。

八甲田で会う約束をしてたのに、遺体安置所で北大路欣也と対面することになってしまった健さんは号泣するのでした…

 

これは、本来指揮官ではない三國連太郎があれこれ言ったから、そして、有能なはずの北大路欣也三國連太郎に意見出来ずに、グッと全てを呑み込んでしまったことによって起きた悲劇です。

今の時代でも上司は横から余計な事を口出しするし、そんな上司にモノを言うのは大変な勇気がいります。

ましてや北大路欣也の組織は軍隊で、しかも江戸時代という、お侍さんの時代が終わってからまだ30数年しか経っていません。

単純に組織論で片付けるわけにはいかないけど、いずれにせよ、いつの時代も中間管理職は大変ってことで。

 

それにしても、東宝の大作だけあって、俳優陣が豪華で素晴らしいです。

主演の二人は、どちらも最高です。健さんは、なんでこうも「寒さに耐える」姿が似合うんでしょう。たまには温暖な気候の場所でダラダラ過ごす映画にも出れば良かったのに。

北大路欣也も、今の若い人は、白い犬のお父さんの声の人、ぐらいに思ってるかもしれないけど、当時、この若さで、こんなに凛々しくも悲しい役を演じてて凄いです。何より、あまりの美男子っぷりにシビレます。

 

脇は、三國連太郎丹波哲郎小林桂樹、大滝修治、加山雄三前田吟緒形拳加賀まりこ栗原小巻など、錚々たるメンバーです。

よくオールスターキャストを謳う映画やドラマだと、その人を出すために無理やり役を割り当ててしまうことがあるけど、この映画はみんなピタッと役にハマり、そして、どれも意味のある役割りでした。

特に、徳島大尉の奥さんの加賀まりこと、神田大尉の奥さんの栗原小巻の美しさに驚嘆します。

 

最近は日本も異様な右傾化が進んでて、「北方領土を取り返すために戦争してもいいい」なんて言う政治家がいるけど、戦争になったら、働き方改革もイジメもパワハラ増税も年金も、そんなのは全て「戦時だから」って無視されます。

自衛隊だって、平時には隊員を守るために、安全で勤務しやすい体制を整えているけど、戦争になれば、こーゆーことも全部すっ飛んでしまい、この映画の軍隊のように、上官の命令は絶対的なものになってしまうでしょう。

 

日本は、そう簡単に戦争が出来ない仕組みになっているけど、相手に攻撃されたら戦争もヤムナシなワケで、そうならないために、外国との問題を政治解決出来る能力を持った優秀な政治家を選んでおかなくてはいけないと思うのです。

 

映画の最後のナレーションで言ってたけど、徳島隊も、生き残った神田隊の人たちも、全員が日露戦争で戦死してしまったそうです。