実はオレは2月からとても大変なのだ。
参考になる人もいるかも知れんから、ズラズラと書いておく。
2/13 成田山に一泊する一人旅行。昼はウナギを食べて新勝寺にお詣りして楽しく過ごす。
夜、お袋から電話で親父が心不全で実家近くの病院(町田)に入院したという連絡。
担当の医師と電話で話したところ、緊急を要することはない(要するに今日明日で死ぬことはない)とのことだったため、そのまま成田山の夜を楽しむ。
2/14 成田山から帰宅。
2/15 病院に親父をお見舞い。意識が混濁してて、これはそんなに長くはもたないなと思う。
主治医と話す。「心不全のため、心臓が通常の50%しか機能していない。そのせいで肺に水が溜まっている。全身がむくんでいるのも水が溜まっているから。そのせいで腎臓も悪い。まずは心臓を薬でどうにかしなくては。とても危険な状態だということを認識しておいて」
看護師、及び病院の相談員の人と話す。「状態が良くなった場合、通常なら1ヶ月程度で退院。退院したら自宅で介護することになるから、急いで介護認定の申請をした方がいい。介護支援がないと、とてもじゃないけど自宅介護は難しい。介護認定は申請から1.5ヶ月ぐらいかかる。この病院を退院するまでに介護認定が間に合わない場合は、繋ぎで受け入れてくれる病院(地域包括ケア病棟というらしい)があるので、そちらに転院することになる」
なんだかとてもメンド臭いことになりそうだ。
2/16 午前。町田の高齢者支援センターに行って介護認定の申請をする。
「2週間程度で連絡するので、そしたら調査日(実際に親父に会って状態を見てもらう)の調整をしましょう」
担当の人が可愛くて優しい女性(30代前半?)だったので嬉しかった。
午後。病院に行って入院に関する事務手続き。状態がある程度改善するまでICU。改善したら大部屋に移動。大部屋が空いてなかったら個室(1日1万円ぐらい)に入る。
入院保証金30万円を払う。(←退院する時に返却される)
それと「入院中の日用品(下着やらタオルやらティッシュやら)を必要に応じて看護師さんが購入してくれていいよ」という物品購入書(?)みたいなのにサインした。
2/17 親父が入院する前に予約してた眼科にキャンセル連絡。
妹に親父が入院した旨を連絡。
2/19 お袋と一緒にお見舞い。ICUから一般病棟に変わってた。大部屋がいっぱいなので個室。
2/20 病院の相談員さんと電話。今の病院を退院出来た場合、介護認定が降りるまでの繋ぎの病院(地域包括ケア病棟)の候補を3つ教えてもらう。
2/22 妹とお見舞い。親父と仲が悪かったため、妹が親父に会うのは10年以上ぶりらしい。親父は眠ってた(意識がない)から、「会った」と言えるかは疑問だけど。
その後、妹と共に主治医と話す。「状態が良くないので再びICU病棟に移す。二酸化炭素が吐き出せてないので、今日から酸素マスクを付ける。いつ何が起きてもおかしくない状況だから覚悟をしておいて」
妹とタリーズでお茶をしながら、「これはダメだね。2週間ぐらいで死ぬんじゃないかな」などと話す。妹も「生きてるうちに会っておけたのは良かった」と言う。
妹が帰った後、今度はお袋とお見舞い。妹はお袋とも仲が悪いから、お見舞いの時間をずらしたのだ。間に入るオレばかりが苦労する。
親父のみずほ銀行口座から当座の金として100万円を降ろす。お袋にいくらか生活費を渡して、残りはオレが管理。
この日から親父のお金、印鑑などはオレが管理することにした。
親父は4つの口座に分けてお金を管理してたのだが、横浜銀行の暗証番号が分からない。親父は意識がないし、どうすりゃいいのか。
葉山に帰る途中、本屋に寄り、「親が死んだらどうすればいいのか」的なムック本を2冊購入。
たぶん、もうすぐ親父は死ぬから、葬式や相続などの対応はオレがすることになる。
死んだら遺体は一回家に戻すのか?戻すなら、どの部屋に戻すんだ?親父の親戚に連絡した方がいいのか?でも親父は実家と付き合いなかったし、オレも親父の兄弟と会ったことない。つーか、他の兄弟三人はすでに亡くなってるし。
分からないことだらけでストレスがすごい。
介護認定の申請をしてるけど、もうすぐ死ぬんだから、この申請は無駄になるのではないかしら。
2/26 お袋とお見舞い。この日の午前に酸素マスクが外せたらしい。意識は混濁してるけど、一応会話する事も出来た。
2/29 妹とお見舞い。あやふやな意識ではあるが、妹とも会話が出来た。妹から「実は7年前に結婚してた」という報告。オレは知ってたけど両親には伝えてなかったのだ。親父も喜んでいた。
妹と別れた後、お袋とお見舞い。まったくメンド臭い。
親父は見かけの状態は良くなってるけど、死ぬ間際にちょっと元気になることはよくあるので、オレとしては引き続き死んだ後のことをいろいろ調べておかねばならない。
主治医からも「酸素マスクのおかげで体内の二酸化炭素を減らすことが出来た。また、体内の水分もだいぶ減ってきた。とは言っても、薬の効果によるものなので、心臓自体が良くなったわけではない。今後も心臓が良くなることはない」
というワケで、怒涛の2月が終わった。
しかし、3月も大変さは変わらないのだ。
(次回、「2024年3月に起きたこと」に続く)