早期退職ブログ

早期退職後の暮らし。

早朝に救急車を2台呼んだ話。

8月になってからお袋は実家に戻ってるのですが、そのお袋から電話がかかってきたのです。朝の5時半に。

何事かと思ったら、親父が倒れたと。熱を計ったら40度近くあると。

 

様子を聞くと、コロナではなく、どうやら熱中症っぽいので、救急車を呼ぶように言ったんだけど、お袋は、親父が「救急車を呼ぶな」と言ってると言うのです。

そんなの無視して呼べと言ってはみたものの、こんな時のお袋は頼りにならんから、「じゃ、オレが救急車呼ぶ」と言って電話を切り、すぐに119番しました。

たぶん葉山や逗子界隈の救急センター(?)に電話がかかっちゃったはずだけど、とりあえず実家の住所と状態を伝えました。

で、また、お袋に電話して、「とにかく、頭と首と脇を冷やしとけ」つって、オレも急いで車で実家に向かいました。

 

通常、実家まで車で45分かかるのですが、早朝だったこと、かつ、時速110キロぐらいで走ったので、25分で着きました。(葉山から町田までは、横浜横須賀道路保土ヶ谷バイパスと、ずっと高速で行けるのです)

 

オレが着いたのは6時15分ぐらいで、すでに救急車が来てて、隊員の人たちが家の中で応急処置をしてるとこでした。

親父はもはや意識朦朧としてて、たぶんオレが来たことも分かってません。

顔は真っ赤で呼吸も荒いです。

(あ、これは死ぬかも)と思いました。

 

熱中症には重症度1から3まであって、親父の場合、2と3の間だったようです。

重症度2は、「頭がガンガンする」「体がだるい」「意識がなんとなくおかしい」とかで、3は「意識がない」「体が痙攣する」「歩けない」とかだそうです。

親父は、意識がないわけじゃないけど朦朧としてたし、体を動かすことが出来ない状況でした。

 

家の中では、やれる治療も限度があるので、救急車の中に運んで、より的確な治療をしつつ、受け入れ先病院を探すことになりました。

 

オレとお袋は、親父の着替え、保険証、お薬手帳などを探し、病院に向かう準備をしてました。

そしたら、別の部屋にいたお袋が「あたーっ!」と叫びました。

なんだなんだ?!と行ってみたら、お袋が頭頂部からダラダラ流血してるじゃありませんか。

 

棚の上の方にあるものを取ろうと椅子に昇ったら落っこちて、テーブルの角に頭をぶつけたようです。

救急隊員の人に見てもらったら、「頭が3センチぐらい切れてます。病院に行った方がいいけど、怪我人を救急車に同乗させることは出来ないので、もう一台救急車を呼びましょう」と、隊員さんがもう一台救急車を手配してくれました。

 

お袋は出血してるものの、普通に喋れて歩けてるから大丈夫そうです。

「ったく、この大変な時に!」とブツブツ言いながら準備してたら、10分しないうちに2台目の救急車が到着しました。

 

「早朝に2台も救急車が来るなんて、一家皆殺しでもあったのかしら?!」とご近所さんは思ったことでしょう。

こんなのなかなかあるもんじゃないから、オレも記念写真を撮りたかったけど、やめておきました。

 

お袋の受け入れ先病院はすぐ見つかって、先に南町田病院に運ばれていきました。うちから3分です。

親父の方は、コロナの懸念もあるせいか、ちょっと時間がかかったものの、横浜旭中央病院というとこが受け入れてくれることになりました。

この病院は若葉台という地区にあって、うちから車で15分ぐらいの場所なんだけど、「東京都町田市」ではなく、「神奈川県横浜市」にあります。

救急車って、県をまたいで行ってくれるのねって感心しました。

 

お袋はまあまあ大丈夫そうだから放っておいて、オレは親父の病院に行くことにしました。

でも、救急車には同乗せず、自分のミニちゃんで後から追いかけます。

なぜなら、以前、家の前に車を置いておいたら、駐禁取られたことがあるからです。

南町田グランベリーモールのせいで、実家周辺は、路駐にすごく厳しくなってしまったのです。

 

続く。